全盲なら、だれでも墨字を書きたいと思うでしょう。代筆してもらおうと思うと、家族にしろ友達にしろ、相手の手が空いたときを見計らって頼まなければなりません。そんなこともあって、カナタイプライターが使用されていました。もちろん自分で打った文字は確認できません。「あ、間違えた」と思ったら一文字戻してX印を入力して続きを書きました。郵便番号も、封筒やハガキの枠が真っ直ぐではないのですべて真ん中にとは行きませんが、一応枠内に収めることはてきました。

ところがところが、点字を覚えることを挫折した母親ときたら「カタカナばかりじゃ郵便屋さんが読みにくいから、何とか漢字で書けないか」と。

鍼灸院に勤めて最初の給料で買ったのがNECのPC6601というパソコンでした。それに木でできた手作りキーボードを接続して、漢点字直接入力で最初に書いた家族への書き置きは「患者さんと飲みに行ってきます」でした。

父が下戸なので、家では晩酌の習慣はありません。しかし、鍼灸師会ではある程度飲めないと晴眼者の業者との親睦に支障を来たすので、少しずつ練習をしていました。でも、私がまあまあ酒席につき合えるようになったのは、漢点字やパソコンのせいだったのか、そのころからよく飲みに誘ってくれるようになった患者さんのおかげだったのか・・・・・

パソコンをPC9801に換えたころ、ハム仲間が「近くに来たらひらせ鍼灸院の看板があったから」と寄ってくれました。そして「お、ここにはパソコンがあるんだな。これから少しずつフリーソフトを持ってきてやろうか」と言ってくれて、それからパソコンをワープロ以外にも使えるようになりました。

パソコンのマニュアルは難解です。それで、私がハム仲間に読んでもらって私がそれを「多分こういう意味じゃない」と噛み砕いて説明する。そして一緒に実験してみる。そんな持ちつ持たれつの関係でパソコンの勉強をしてきました。周辺機器も一緒に買うからと値切って買ったこともあります。私のパソコンのハードディスクがクラッシュしたとき、夜中にも関わらず高速道路を飛ばしてサポートに来てくれた友人もいます。

パケット通信からパソコン通信、そしてインターネットへ

少し早く文字を入力できるようになると、今度はいろいろな情報にアクセスしたくなります。目が見えないと紙に書かれた文字は読めませんが、パソコンを通して流れてくる文字は点字にしたり音声にしたりして読むことができます。

最初は、アマチュア無線のトランシーバーとパソコンを接続し、パケット通信という方式で文字情報の送受信をしていました。そのうち、点訳ボランティアの方々が点訳して下さった資料の校正のため、アマチュア無線の免許を持っていない方々との点訳データのやり取りも必要になり、電話回線によるパソコン通信を始めました。

NIFTY-SERVE(現@NIFTY)にはエレクトーンに関する情報がたくさんあるということを点訳ボランティアの方に教えていただき、加入しました。そして、OFF会といって、通信で知り合った方々と実際にお会いして発表会をしたり、お食事したりすることも多くなりました。同じ趣味の人とお会いすると、初対面でももうずっと古くからの友人のような気がするので不思議です。

私はパソコン教室に通ったことはありません

漢点字の雑誌などでソフトの解説をさせていただいたり、ソフトハウスから頼まれて視覚障害者用ソフトのモニターをさせていただいたりする関係で、相談のメールや電話をいただくことがあります。点訳ボランティアの方からも、ソフトのインストールや環境設定などの相談を受けることがあります。

でも、それらはすべて晴眼者の友人からの受け売りです。

私たち視覚障害者は一歩外に出れば、道を尋ねたり時刻表を見ていただいたり、周囲の晴眼者の方に目をお借りすることが多いです。点訳ボランティア活動もパソコンサポートも、そしてエレクトーンの演奏活動も、何か社会へのご恩返しになればと思ってさせていただいています。

そして国際アビリンビック参加へ

ある程度パソコンを使えるようになると、自分がどれくらいのレベルなのか客観的に評価してほしくなりました。それで、カナタイプやワープロの競技会にはよく出ていました。

点字の漢字には、漢点字とは別に六点漢字という方式もあります。アビリンピック(障害者技能競技大会)に最初に出たとき、私は二人の六点漢字ユーザーに負け、銅賞でした。録音タイプ速記といって、会議のテープ起こしを職業にしているプロに負けたので当然といえば当然なのですが、それでも悔しかった。

それならということで六点漢字も勉強してやろうじゃないかと思い、鍼灸院のお正月休みに一気に勉強しました。漢点字は偏と旁、冠と足という組み立てになっているのに対し、六点漢字は音と訓の頭文字でできているものがあります。先天盲にとっては六点漢字のほうが親しみやすいのですが、実際は音と訓で表現できる漢字は少ないため、音と部首符号でできているもののほうが多いのです。私は最初に漢点字で部首の概念が分かっていたので、漢点字の符号を六点漢字の符号に置き換えるだけでマスターできました。しかし、先に六点漢字を勉強していたら、点字の漢字は使えていなかったような気がします。

翌年のアビリンピックは県内予戦落ちでしたが、その次の1996年は国内大会で金賞を受賞でき、2000年にはプラハで行われた 国際アビリンピック にも参加することができました。

母は励まし上手

自分は何もできないくせに、母は私が競技会に出るのが大好きです。家の引っ越しのときも、どうせ家にいても邪魔になるだけだからと私はカナタイプの競技会に参加し、引っ越しが終わったところにトロフィーを抱えて帰ってきました。

アビリンピックは国内大会も国際大会も視覚障害者は介助者を一人つけてもいいということで、母と一緒に参加しました。母の一番の楽しみはバイキングの食事だったわけですが・・・・・。でも、母はけっこう度胸があって、プラハでも周囲の人の分まで生ビールを抱えて帰ってきました。「Four members」と言ったのがちゃんと通じたと喜んでいました。私にとっても母にとっても初めての海外旅行、少しは親孝行になったかもしれません。

平瀬さんにとってパソコンは趣味なんですよね

こんなふうによく言われますが、私にとってのパソコンは目の代わりであり鉛筆代わりです。必要に迫られて使うようになりました。

一時、視覚障害者の点字離れが叫ばれましたが、点字ピンディスプレーや点字プリンターが普及するにつれ、またインターネットで点訳データを入手できるようになり、点字が見直されるようになりました。紙に出力してしまうと点字は嵩張りますが、フロッピーディスクやハードディスクに保存すれば必要なところを検索するのにも便利です。ただ、せっかく点訳して下さった点訳書を音声で聴いて満足してらっしゃる方が多いのは残念です。やはり点訳書は指で読みたいものです。

情報入手から情報発信へ

インターネットにはいろんな情報があり、キーワード検索すれば何でも出てきます。私はそれに満足していましたが、私たちからも積極的に情報発信して行かないといけないなあと思うようになりました。

例えば、私たちがパソコンのサポートをボランティアの方から受けようとしても、マウスでパパっと操作されてしまっては使い方がさっぱり分かりません。そのため、私のHPの 目が見えないのになぜパソコンを使えるの? にはWindowsのショートカット表を掲載しているのです。

また、ホームページのリンクのところに文字が入ってないとURLしか読んでくれないし、「ここ」だけではそこが何のリンクなのか判りません。

視覚障害者にどう接したらいいか分からず尻込みしてしまう人もいらっしゃるようなので 街で視覚障害者と出会ったら も掲載しました。そして、晴眼者には視覚に訴えたほうがいいだろうと思い、小児鍼に来ていた子にイラストも描いてもらいました。

せっかくパソコンを使えるようになったので、相互理解のためにこのコンテンツも作りました。皆さん、これからもよろしくお願い致します。


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