< 弱視者の日常生活における不便について

もずくさんにQ!

もずくさんはどんなふうに見えるのですか?

私は、先天性緑内障と白内障のため、視力は右目のみで0.07程度、視野は30度程度です。視神経をかなりやられていることと、水晶体を摘出してしまっていること、そして、片目のみで見ていることが私の特徴と言えるでしょう。

具体的な見えにくさについてお話しますと、

視力自体がとても弱く、特に近くのものが大変見えにくい。

暗い場所に目がなれるのに時間がかかる

片目で見るため遠近感がない

ものの輪郭がとてもあいまいにしかわからない

私は足元が見えないから階段はそんなに怖くないんですが・・・・

私がなぜ怖いのかというと、多分りんかくがわかりにくいため、段差の区別がつかないこと(つまり階段はスロープのように見えてしまう)と、ものの奥行きがわからない こと(階段の高さがつかみにくい)、そして少しでも暗いと見えにくいことが大きいのではないかと思うのです。

その日の目の調子も大きいです。寝不足のときや眼圧の高い状態では、目の前に光 る風車みたいなのがいくつも回っているようで、そんな時の視界は、まるで映像のパ ズルがぐちゃぐちゃにこわれてちらかっているようで、もうなにがなんだかって感じ です。

弱視者の見え方って、なかなか理解されにくいですよね

自分の見え方についてお話していると、なんだか自分はこんなに大変なんだから、 もっと援助してくれといってるみたいで、ちょっと抵抗があります。

しかし、弱視の人が一番悩むのは、見えにくい不便そのものよりも、周囲からあま り理解されていないと感じてしまうことではないかと思います。

弱視の友人同士でよく盛り上がる話題は、例えば職場で、「あいつは見えてるのに 見えないふりをして楽している」と言われてしまったり、会釈されても相手がだれか わからずに困ったり、そういった人間関係上の悩み事です。

不便は工夫や、人に援助を求めることで解決できるけど、理解されてないという実 感は、なんともいえず寂しいものです。

見えないと見えにくい、それは単に障害の重い、軽いということにとどまらず、質 的なちがいであり、中途半端ゆえの苦悩というものもあるということなんです。

昨日はおきまりの動物園にいってきました。動物園って広いから適当に歩いても何 かの動物のオリにはいけるのでいいですよね。でも例えばモノレールの乗り場とかカ キ氷を売っているお店とかトイレとか、何か目的のものを探すのはやはり骨がおれま す。そして何よりつらいのは、白杖をもった私たち親子を、周囲の人がさけて通るのを見てしまうことです。混雑している象さんのオリの前でも、私たち親子の周囲には空間ができている。それをみてしまったとき、なんともいえない疎外感をおぼえます。

もずくさんは、周囲の人たちにどんな援助をしてほしいですか?

視覚障害者、特に同居家族に見える人のいない世帯では、自分の家の近所のことで も本当にわからないものなんです。

私も2年前に引っ越してきたときはもう大変でした。うちの場合は家族や身近な親戚に見える人がいないので、地域の情報集めはなかなか大変です。でも地域のことを知ろうとして、ご近所の人にいろいろときいてまわったおかげで、比較的早くご近所と顔なじみになれたというメリットもありましたけどね。

でもなにが情けないって、自分よりも遠くに住んでる友人のほうがうちの近所に詳 しいってことです。特に車の運転をする人は道やお店のことなど、本当によく知って ますね。

例えばガイドヘルパーさんと歩いたときに、「こんなお店もあったんだ」ということが再発見できたら、利用者にとってはとてもメリットになると思うのです。その分ガイドヘルパーさんは余分なお仕事がふえて大変になってしまうと思うのですけどね。

それから、弱視という存在を正確に理解していただきたい、これが一番です。「少しは見えている」という状態を、健常者の皆さんにわかっていただくのはと ても難しいです。健常者の方の理解は両極端で、「見えない」=「全盲」、「見え る」=「弱視」という認識がなされることが多いですよね。「見えない」と「見え る」のあいだに「見えにくい」という状態があり、それは質的にちがう障害だと いうことを理解していただきたいです。

そして、私たち弱視者自身も、自分の見えにくさやしていただきたい介助などに ついて、わかりやすく周囲の皆さんに伝える努力をしていかなくてはならないと 思います。


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