目が見えると便利なこと目が見えないと不便なことについてお話する前に、目が見えると便利なことを列挙することにします。 一度に全体を見通すことができる晴眼者の視野は、単眼視の場合、上方60度、内方60度、下方70度、外方100度くらいだそうです。 分解能がきわめて高い視力1.0で0.01度くらいだそうです。 立体的に物をとらえられる触察では、大きなものをすべてとらえることはできません。 、 目が見えないと不便なこと行動が制限される移動・運動・操作能力が制限され、とくに未知の環境での消極性をもたらします。 いつでも好きな所に安全に安心して行けることは、誰もが日頃当たり前のようにしていることです。しかし失明をすると、このことが大きなハンディキャップになります。 健常者にとっては、好きな時に好きな買い物をする、本を読む、旅行をするなどどれをとっても、ごく当たり前のことですが、視覚障害者がそれを単独でするのは非常に難しいです。 これを解決するために、白杖や盲導犬による歩行訓練、誘導ブロックや音響信号機の敷設、ガイドヘルパー制度などがあります。 視覚的情報の欠如知識の80%以上が視覚から得られると言われています。 新聞や雑誌など点字で発行されているものは少なく、点訳されても活字のものよりも遅れます。読書好きでない友人の中に「具体的」を「ぶたいてき」と発音していたり「天国と地獄」を「天国と地国」と思っていた人がいました。 周囲の風景や動きなどの状況を見ることにより瞬時に判断し、自分の位置を知り、安心や安全、自信、安らぎを手に入れることができます。しかし、目が見えないとそれがたやすくできなくなります。顔色が判らないため知らず知らずのうちに周囲の人を傷つけてしまったり、人が近くにいることが判らなくて声をかけられなかったり大声で呼んでしまったりということもあります。 読み書きの不自由については、Windows画面読みソフトや点字出力システム、点字図書館や公共図書館の点字図書や朗読テープの整備、ボランティア活動などによってかなり改善されてきています。 とくに、インターネットから情報を得られるようになったことはとてもうれしいことです。ひょっとすると、パソコンに取り組もうという意欲を持つ人の割合は、健常者より障害者のほうが強いかもしれません。 視覚的模倣の欠如目が見えていれば見よう見まねで修得できる動作を、手とり足とり教えてもらわなければなりません。 外出して困ることそれでは、一人で街に出たとき、どんなバリアがあるのか、皆さんをご案内することにしましょう。 今日は鍼灸マッサージ師会の会合があります。 家から歩いて5分のところにバス停がありますので、歩いて行くことにします。 今、私の家の近くで下水道工事をしています。
そのため、車が入ってこないように、道路の半分くらいを看板と
バス停に近づくと、歩道にたくさん自転車が止まっています。ぶつからないように歩いていると、ベンチに膝を思いっきりぶつけてしまいました。私の家の近くには誘導ブロックはありませんが、ひどい所だと誘導ブロックの上に並べるように自転車を止めてある所もあります。 バスに乗って、ちょっと居眠りしてしまいました。 テープの案内放送が私の降りるバス停を告げたので、慌てて押しボタンを探しましたが、どうやら私が座った席の近くには手を伸ばしてもなさそうです。 動いているうちにバスの中を歩いてはいけないと思いつつ、ドアの横にはどんな構造のバスにも押しボタンがあることを知っているのでそのボタンを押しました。 バスが停留所に着く直前だったのか、バスは急停車して止まりました。 降りてみると、何だか様子が違います。バス停の点字表示を読むと、目的の停留所より一つ手前でした。どうやら、テープの案内放送がずれていたようです。次のバスは30分後なので、仕方なく私は停留所一つ分歩くことにしました。 今までバスでしか通ったことがない道なので、慎重に歩いていたのですが、何やら柔らかいものにぶつかってしまいました。直後、幼い子の泣き声が・・・・・。どうやら私はヨチヨチ歩きのお子さんに衝突してしまったようです。「ごめんね」と声をかけましたが、横からお母さんらしい人の声で「ほら、あんたがぼーっとしてるからぶつかられるんでしょ」と。 しかし、何とか会合がある会場にたどり着くことができました。 会合が思ったより早く終わったので、同業者と食事をして帰ることにしました。 話が弾んで、家の近くまで来るバスがなくなってしまったため、電車で帰ることにしました。時間帯によって、どのホームから電車が出発するか判りませんので、聞かなければなりませんが、ちょうど改札口に駅員さんが不在でした。そこで、足音を頼りに近くの人を探して教えてもらいました。 電車は混み合っていて、なかなか空いているつり革が見つかりません。扉近くの棒も空いている様子はありません。単線なので、揺れが激しく立っているのは至難の業でしたが、何とか最寄り駅にたどり着きました。 駅から私の家までは歩いて15分くらいです。 信号に着きましたが、音響信号機ではありません。昼間は車も多いので、自分と同じ方向に車が動きだしたら「青になったんだな」と認識して渡ることができますが、車や人がいないといつ渡っていいか判りません。 仕方なく、車が少ないときまで待って渡りました。 別の音響信号機がある交差点でも、夜9時を過ぎると近所迷惑になるということなのか、音が止まってしまいます。 ・・・・・と、ちょっと外に出ただけで、これだけのバリアがあるのです。 今回は何とか自力で外出し、帰宅することができましたが、困ったときに援助を求める人が見つからないのが最も不安です。ひょっとしたら今回の外出中、どなたにも出会わなかったのかもしれませんし、出会ったとしても「大丈夫だろう」と見守っていて下さった方がいらっしゃったかもしれません。あるいは、視覚障害者の介助の仕方が分からなくて、声をかけるのを
次ページ以降でどんな援助を受けられると安心なのかお話しますが、その前にもう一度私たちが不便に感じていることをまとめてみましょう。
家の中で不便に感じていること
自分でできること、できないこと文字の読み書きはWindowsの画面読みソフトやスキャナなどでできるようになってきましたが、所定の枠内に文字を書いたり、手書きの文字を読むことはまだできません。 しかし、目が見えなくても、その他のことは皆さんと同じです。 私たちが困難に出会ってしまったとき、皆さんの目をお借りできるとうれしいです。 「街を歩く」へ
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