リンゴちゃんは、弱視のパパと全盲のママに育てられた高校生です。

そんなリンゴちゃんに、日常生活の中でパパやママに接していて感じていること、社会に対して訴えたいことなどを聞いてみました。

リンゴちゃんが初めて点字を見て感じたことは?

初めて点字を見たのは、3歳くらいだったと思うので、あんまりどうだったなんて深く考えたことは無かったような気がしますが、子供心に「どうしてうちのママだけ、こんな点々を触ってるんだろう」って思ってました。

不思議だなぁって思ってずうっと見てると、そのうちにママは本を読むときにこの点々を触るんだなぁってことが判ったんです。

みんなこんなの触って読めないのに、うちのママはこれが判るんだと思うと、なんだか嬉しくて、ママって凄いんだなぁ、もしかしたら超能力者かもしれない、なんて思うようになりました。

そして、近所の子供たちが、「おばちゃんご本読んで!」なんて普通の本を持っていくと、「ママはこれじゃなきゃ読めないんだよ」なんて言って、点字の絵本を持 って行ってたことを憶えています。

小さいころはそんな感じで、ほとんど何も考えて無かったけど、少しずつ大きくな るにつれて、うちのママはけっして超能力者ではなかったんだってことが判ってき ました。 そのときは、なんだかちょっとがっかりしちゃったことを憶えています。

でも、私の中でやっぱりママにはいつまでもヒーローでいて欲しくて、勿論私もママみたいなヒーローになりたかったんですよね。 気がつくといつのまにか点字の勉強を始めていました。 そして、毎日ママやママ以外の目の不自由な人たちが私の書いた手紙を読んで喜ん でくれる笑顔を思い浮かべていました。

小学校3年の時、ママのお誕生日のプレゼントに点字の手紙をそえて渡したら、私 の予想通り、ママはとっても喜んでくれました。 でも、ママの目には涙が溢れてたんです。 「ママが泣いたのを見たのは、その時が生まれて初めてだったので、「どうしたの ?」って聞いたら、私が書いた点字のお手紙が嬉しかったんですって。 私は、その時のママの笑顔と涙が忘れられなくて、今でもずうっと点訳のお手伝い をさせていただいてるんです。

今は小学校でも点字や手話、ガイドヘルプなんかを習うと思うんだけど、教科書に書いてあることや先生に教えてもらうことで、「これは違うぞ!」ということはありましたか?

小学校に視覚障害者の人に来てもらって色々お話してもらったんだけど、その前に先生が手引きの仕方とかを書いたマニュアルみたいなのをくれたのね。

でもそれには、「目の見えない人の手を引いてあげる時は、貴方が目の見えない人 の左に来て、手引きする時は相手に貴方の右腕を持ってもらい、貴方が半歩先を歩 きますが、外に出た時などに、右側に車道がある時は、貴方が目の見えない人の右 側に来て、貴方の左腕を持ってもらい、半歩先を歩いてください」って書いてあっ たんです。

これを読んだ時、私が今までママの手引きをしてたやり方と違うって思いました。 先生に聞いても、「渡したプリントにそう書いてあるんだから、その通りにしなさ い」って言われるばっかりだし、ママに聞いても「リンゴが今までやってた通りでい いんだよ」って言われるし、ずっと判らないって思っていました。

 でも、平瀬さんのhpで、やっとその謎が解けました。 そうだよね。やっぱり右手で杖を持つんだから、私たちが左にいるのが当然なんだ よね。

でも、あの時のプリントに、ガイドヘルパーが車道側にいると書いてあったのは、 どうしてなのかなぁ? やっぱり安全確保のためなのかなぁ? だとしたら、これもおかしいよね。 だって、視覚障害者が右手で持った白杖で、障害物や歩道と車道の段差なんかを確 認できる方が、よほど安全だと思うんだけど、これって違うのかなぁ? もし、ガイドヘルパーが車道側にいることで、安全確保ができるって言うんだった ら、このプリントは、晴眼者の立場だけで書かれたことになるよね。 それっておかしいと思うんだけど、こんなこと考えるのは私だけなんでしょうか?

これを誰が書いたのかは知らないけど、すくなくともこれを書いた人は、視覚障害 者のことをあんまり知らない人だってことになるよね。

私の友達なんかでも視覚障害者を手引きする時に、抱きかかえるようにして階段を 上がったり、二人で取り囲んでめちゃめちゃスローテンポで階段を下りたりしてる 人がいるけど、「病人を運ぶんじゃないんだから、そう言うのはやめて」って、い つも言ってるんだよね。

あと、杖を荷物だと思ってるのか、「重いでしょう!持ちますよ」なんて、あほな こと言ってる友だちもいるから、どうしようって思うんだけどね。

手引きって言うのは、視覚障害者を安全に誘導することであって、けっして病人輸 送ではないんだけど、みんな何を勘違いしてるのかなって、いつもママと言ってる んです。

みんな、やたらに「危ない」を連発するし。 でも、あれって単独歩行してる時に言われると困りますよね。 「危ない」って教えるのはいいけど、何が危ないのか判らないと、集中して歩いて るのに、その声に驚いちゃって方向取れなくなったり、なんてこともあるし。

と言うことで、私はできるだけ冷静に、その場の状況を教えようと思ってます。 だって、早めにその場の状況を教えれば、集中して歩いてる人を驚かさないですむ でしょ。

 もう一つ、最近よく考えるのが、10年に一度変わる、点字表記のこ とです。

普通に点字を勉強してるだけとか、教科書に出てきたからとりあえずその時だけ、 と言う人なら、そんなに感じないのかもしれませんが、私のように、点訳サークル でお手伝いしてたりすると、この点字表記について行くのが大変なんです。

でも、私がこれだけ大変なんだから、視覚障害者の皆さんは、もっと大変なのかも しれないですよね。 よく、「視覚障害者もこの表記に慣れてもらわなきゃ」なんて言ってる人がいます が、そういう時いつも、点字って誰のものなのかなぁって考えちゃったりするんで すよね。

しかも、点字表記を決めるのは、日本点字委員会と言うところで、その中に、視覚 障害者はほとんどいないという話を聞いたことがあります。 視覚障害者が使う点字の表記を、晴眼者が勝手に決めちゃうということは、かなり 問題だと思うんですが、皆さんはどう思われますか?

視覚障害を持つパパやママに育てられて、寂しいと思ったこと、辛いと思ったこと、逆にうれしいと思ったことや楽しかったことを教えて下さい。

私はパパやママが視覚障害者だったからと言って、寂しいとかつらいと思ったこと は、1度もありません。

唯一寂しかったことは、車でのドライブができなかったということ、つらかったの はやっぱり学校で苛められたことくらいかな。

でも後は、晴眼者のお父さんやお母さんたちと何ら変わりはありません。 パパは鍼灸院を開業してて、毎日、普通にお仕事しています。 ママは専業主婦だけど、お買い物も、お掃除やお洗濯も普通にやってるし、お料理 もとっても上手です。

ただ、お掃除の時に、ちょっとだけ細かい塵が残っちゃったりするので、それを私 がちょっととってあげるだけです。 お買い物の時も、ママは大まかな売り場の位置を覚えてるので、私が一緒じゃない ときはお店の人に言って、欲しい物を取ってもらってるみたいだし、私が一緒の 時は、ママに欲しい物を聞いて、できるだけ値段の安い物や、賞味期限の新しい物を取ってあげたりしています。

時々周りの人から、「自分のしたいことも我慢してお母さんの面倒見て、偉いわ ね」とか、「リンゴちゃんのお母さんは目が見えないから可愛そうだね」なんて言 われることがありますが、それは絶対違うと思います。 生まれてから16年間、ここまで育ててもらったのは私のほうだし、それにママは目 が見えなくて不便だとは思いますが、けっして可哀想ではないと思うんです。

だって、娘の私が言うのも変だけど、上にも書いたように、ママは何でもできちゃ うし、私の考えてることだってすぐに見抜いちゃうんですもの。

勿論他のお母さんたちと同じように、私のプライバシーまで、色々と干渉してくる こともあります。 この間だって、私の部屋に掃除に入った時に、机の上においてあったキャンディー 食べてたし、私の化粧ポーチ、勝手に見たのか、「あんたあのアイカラー、いつの 間に買ったの?」なんて言われちゃったし。 私もママがそういう性格だって知ってるから、ちょっとだけズルしちゃって、実は パパがくれたパソコン、ママの見えないところに隠してたりしてるんですよね。 でも私、嘘付くの下手だから、多分、いつかはママにばれちゃうような気がするけど。

こんな感じでパパやママとは本当に普通に接してきたので、あんまり寂しいとかつ らいとか考えたことがないんです。 パパだって見えにくい時は、「それ見えないよ!」、「悪いけど、この字小さすぎ て見えないから、ちょっと読んでくれる?」ってはっきり言ってくれるし。 確かに、目を使わなきゃいけないことはできないと思います。 でも、そんな時は私の目をちょっと貸してあげれば、どんなことだってできる。 私はいつもそう思っています。

ママの目が見えなくて良かったことって言うのはあんまりないような気がするけど 、唯一、何が良かったかと言われると、世の中の汚い部分を見ないでいいというと ころかもしれませんね。 汚染された地球とか、破壊された自然とか、自分のことで一生懸命で他人への思い やりをなくして泣いたり怒ったりしている人の顔とか。

もう一つ付け加えておくと、私の手紙や交換日記を勝手に覗かれないで済んだこと かな!

視覚障害者のパパやママに育てられてよかったって思うことはありますか?

こんなのよかったって言えるのかどうか判らないけど、ママの目が見えなくてよかったことは、いつも大好きなママと一緒に手をつないで歩けることです。

パパは殆ど見えてるから、私がして上げられることはないのかもしれないけど、もし何かして上げられるとしたらパパを自分の車に乗せてあげることくらいかな。パパを駅まで迎えに行くのが私の夢なんです。

いつもパパが私を迎えに来てくれるから、免許を取ったら私がパパを迎えに行って上げたいんです。

街で視覚障害者と出会ったとき、ガイドヘルプ暦16年のリンゴちゃんから見て、どんなふうに健常者に接してほしいですか?また、バリアフリー社会のために、どんな施設や設備が整備されるといいと思いますか。

バリアフリーのための施設は、そんなに要らないのかもしれませんね。 それよりももっと必要な物があるんだと思います。

それは、障害者の方への思いやり、いえ、他人への思いやりです。 沢山お金をかけて施設や設備を増やすことより、歩道や誘導ブロックの上に自転車 を止めない、立ち話をしない、杖をついて歩いている人の前を横切ったり余所見をしたりしない、安全な手引きの仕方を覚える、そのことの方が、施設や設備を増や すことなんかより、ずっと大切なことです。

勿論、施設や設備は、沢山あるのに越したことはありません。 でも、今の日本の社会を見ていると、そのことだけに一生懸命で、何か大切な物を 忘れているんじゃないかと言う気がするのは私だけなのでしょうか?

最後に、このインタビューを読んで下さっている健常者の皆さんへのメッセージをどうぞ

健常者の皆さんに私から言えることは、唯一つだけです。 目が見えないこと、耳が聞こえないこと、足が不自由で歩けないこと、言葉が喋れ ないこと、これはみんな、髪が長い、短い、痩せている、太っている、これと同じ ように、一つの個性だということです。 見えないから、歩けないからと言って、けっして可哀想なのではないのです。障害者を可哀想な人たちにしているのは、健常者なんだと言うことを、常に頭に入 れて置いてください。

ちなみに、私は、障害者と言う言葉が大嫌いです。 同じ人間としてこの地球に生まれてきたのに、なぜその人たちを区別しなければい けないのか、そのことがどうしても判りません。 この中に、もし一人でも、「あの人、目が見えなくて可愛そうね!」、「障害に負 けずにがんばってるのね」なんて思っている人がいるんだとしたら、もう一度言います。 可哀想なのは貴方の方なんですよ。 みんな、理屈では良く判ってるんだと思います。

でも、もう一度良く考えてみてください。 それをどうやって考えるのか、その方法は唯一つ。 実際にハンディーを持った方と接することです。 同じ一人の人間として。 この地球に一緒に生きている仲間として。 私は、パパとママの子供に生まれて、本当に良かったと思っています。 まだ16だし、知らないこともいっぱいあります。 つらくて泣きたくなることも沢山あります。 でも、ママが私を生んでくれなかったら、私はここにこんなふうに存在して、こう やってメールしていることもなかったと思うし、こんなに沢山の人たちに出会って 、今まで私を支えてくれた人たちの暖かい心に触れることもなかったと思うんです。

だから、生まれてきたこと、今、生きていること、生かされていることに、とって も感謝しています。 パパ! ママ! 今まで私を育ててくれて、本当にありがとう!

そして皆さん、こんな私ですが、これからも宜しくお願いします。


戻る