はなてんちゃんは、ヘルスキーパー(企業内で社員を治療する鍼灸マッサージ師)として、社員の健康管理に従事してらっしゃいます。また、点訳ボランティアの育成や小中学校での福祉実践教室の講師としてもご活躍です。
私は生まれつきの弱視です。視力は左が0で右が0.01です。
白杖はバッグの中に忍ばせているだけで使ったことはありません。遠くのものでも近くのものでもはっきりとは見えないのですが、いろは良く見えるのでだいたいの物はいろで区別しています。
たとえばスーパーでお肉を買うときは、牛肉は濃い赤、豚肉はやや薄い赤、鶏肉は白い色、果物や野菜も色で区別します。しかし、最終的な確認は10本の指で確認して買います。砂糖や塩もふくろの上から指で触って買うことができます。これは口 で説明することはなかなか難しいです。長年の勘というのでしょうか
。駅できっぷを買うときは点字で料金を確認しますし、料金がわかってい るばあいはきっちりとその料金だけ券売機に入れれば赤いランプのついているボタンの1番最後のボタンをおせば間違いなくきっぷを買うことができますか ら数字が見えなくても大丈夫です。かえって点字の読めない弱視者の方 が大変なように思います。
私は5人姉妹の長女として生まれました。
同じ年の妹と一緒に近所の幼稚園に通っていましたが、小学校からは盲学校に入学しました。
両親は私を障害者としてではなく1人の子どもとして育ててくれたので下の妹の面倒も良く見ましたし、両親が毎日仕事で忙しく していましたから部屋の掃除や、食事の後片づけは私たち子どもの仕事でし た。
妹たちも私の目のことは全然意識してないようで、甥や姪がまだ赤ちゃん のころはよく私に子守を頼むと言って実家に来ました。
学生のころ他の障害を持つ人たちと一緒にスキーに行ったとき、彼らは視覚障害者は全くすべてのことにおいて手助けが必要だと思っていたという話を聞いて、同じ障害者であってもこれほど視覚障害者に対しての理解がないものなのだとびっくりしました。
社会人になってまわりの人から「目が見えないと不自由でたいへんねえ」と良く言われることがあります。そんなとき私はこう答えています。
「弱視者歴も長いし今よりも良く見えたことがないので比べられないから何 が便利で何が不自由なのかわかりません」と。
どの階にどんな品物が置いてあるかというのは各階によって匂いが違うのと、近くの人たちの会話で判断しています。
靴や鞄のある階は皮の匂いがするし婦人服などの階は新しい生地の独特の 匂いがしますので、ちゃんと行けます。
私たちは耳や鼻、皮膚感覚などを有効に使って生活していると思います。そ れは努力して身に付けるものではなく、生きていく上で自然と身に付いたものだと思います。
幼いころから悲しく思うのは、できないことがあるとそれは目が見えな いから仕方がないことだと思われることです。人間には得意なこと不得意なこ とが誰にでもあると思うのですが、晴眼者から見るとそれは目が見えないから というひとことで決め付けてしまうことです。逆にボタンつけや掃除などたいていの人ができることをさらりとやっていると「わあ、すごい!えらいねえ! 」とおおげさに感心されるのもちょっと悲しいです。
あるとき会社の女の子が「私の周りには障害がある人がいないので、みんなど んなふうに生活しているのかわからないから教えてね」といわれたときは、私たち のことを理解しようとしてくれていると思ってとても嬉しくなって「いつで もどうぞ!なんでも聞いて!」とはしゃいでしまいました。
私たち自身受身ばかりでなくもっともっと社会に出て理解してもらう努力をす るべきだと思います。