私熊本城に住んでおります「おてもやん姫・pyua」は、網膜色素変性症のため、7年前に殆どの視力を失ってしまいました。
岡村春樹さんの言う真っ暗で深い井戸の底に投げ込まれたような不安感、それはそれは辛く悔しい日々が続き、家族を憎んだり自暴自棄になっり引きこもるしかなかったわけです。
そんな中自殺を考えていたpyuaを救ってくれたのが、ボランティアアドバイザーの講義を受け生涯学習の講師、講演活動と社交ダンスでした。
死にかけた人間は逞しく、どうせ生きるなら「輝きながら生きていこう!」これがpyuaのポリシーです♪
人との出会いと絆を大事にし、チャンスは貰う物ではなく自分の手と足で掴み取るものだと信じて、毎日を楽しく笑顔で暮らしています。
この4月にはありがたい事に、乳がんまでいただき講演とブログネタが増えたのだと 受け入れ、病気と仲良く付き合っていくつもりです。
JDC主催で第3回全日本ブラインドダンス競技会は【全日本ブラインドダンス選手権大会】と、ダンスを楽しむライジングスター戦に分けて東京品川総合体育館で2008年8月末開催。
pyuaのダンスリーダーは、インストラクターであるB級選手の八城賢さんだったので、全日本選手権大会に出場!
一般のダンス競技会は、同じ級同士が技を競うことは常識ですよね。
でもでもブラインドダンスオープンは、9割以上が級保持者でしかも違う級の選手が同じ土俵・フロアで審査されるのです。
つまりA.B.C.D級選手たちが、火花を散らしプレッシャーを笑顔で隠しつつ、1次予選でゴロゴロバタバタ落ちてしまうのです。
スタンダードは36組中20組、ラテンは26組中半分が1次予選で悔しくも敗退して行く 恐ろしい2分30秒の瞬間。
pyuaたちは嬉しい事に決勝戦の8組まで行き、皆の大きな熱い声援をもらいキラキラピッカピカの笑顔で、情熱的に踊り4位入賞!やったあっと叫びたい! もちろんpyuaだって絶対勝つぞと言う緊張はあったけれど、経験豊富なリーダーのリードで安心しきって、ターンや大好きなレディースキックの技を次々にステップでき ました♪
熱気に包まれた会場放送で、pyuaたちの背番号・20番が呼ばれるたびに、応援の人た ちの歓声と拍手がとっても励ましになってうれしいpyua(@^∇^@) わぁーい。
ラテンドレスは真っ赤なミニドレスに紺色のバラと、ブルーにきらめくスパンコールが華やいでいて、ご自慢の背中でバラのアクセサリーが揺れて可愛さとセクシーをアピール!キャハーン♪
ルンバは準決勝で落ちたので、チャチャはとびっきりの万遍の笑顔で最後の力を振り絞り、大きくフロアを走り回って踊りました。
チャチャは8位入賞!ワルツとタンゴが2つとも4位入賞!
やったあやったあ最高の感動の涙がキラキラ!
「乳がんなんかで死んでたまるもんかあ!pyuaはこんなにも熱く燃えて元気な笑顔で舞姫して勝ったぞお!生きてるってこんなにも熱い涙がでるんだよ!」
踊って戻ってくるごとに、夫はずっとずっとうちわでパタパタ扇ぎ続け、妹は酸素水をpyuaに手渡すと、
「よしよしバッチリ最高!ほんと安心して応援していられる♪シロヤギリーダーの場所取りがうまいので益々目立っていて絶対いけるよん!」
「ほら酸素をとって少しでも休めよ。クールダウンシートで首筋から脇を冷やすといいぞ。左リンパは大丈夫なのか?」
「pyuaちゃあーん、すごくキラキラめだってるよお!バッチリ絶対いけるからもおっと笑顔でいけいけいけえ!」
こんな風にpyuaのサポーターたちはすんごおーく頼もしい・ありがと感謝いっぱあい
。兄貴と夫はカメラマンとしても広い会場を走り回り、マネージャーも兼ねほんとうにご苦労様でした。
トロフィーと賞状を掲げ、皆ニッコリ並んで写真をパチパチ、どれどれ・ほうらっと触りっこして再開の強く優しい握手もd(^-^)ネ!
魂が燃えるような経験をして、2008・真夏の果実となった事がとっても嬉しい!絶対にあきらめてはいけない!挑戦する熱い心意気が新しい可能性に繋がるんだと、 pyuaの夢を叶えてくれた鬼リーダーに心から感謝でいっぱーい。
タクシーとモノレールを乗り継ぎ、夏休みの空港はハッチとキララみたいな家族連れ で大混雑、チェックインと荷物預かりの長い行列を焦る気持ちで何とかクリア。
動く歩道も走って走ってさあ急げ!お土産を3分で袋に投げ込むと、最終便でやっと姑たちの歓迎も受け岐路に着きました。